オートバイに乗る、素晴らしさ
Sakurai&Triumph Thunderbird                         
みんな、魂を尊重してる?
ぼくはどうやら友人知人など周りの人達に「バイクズキ」とカテゴライズされているらしい。まぁ、それはそれでいいんだけどね。・・いいんだけどちょっとナットクいかないワケ。このサイトを立ち上げた頃から特に顕著になってきたのだけど。ことあるごとに「バイク好きだから」とか「バイクが一番好きなんでしょ?」とかいろいろな人に言われる。ひどいのになると「あいつからバイクを取ったら何も残らない」なんてのもある(笑)えない。もちろん、バイク以外の趣味はある。音楽とか釣りとかバックギャモンとかきんぎょ鑑賞とか(笑)。というかあまりにも浅く手広くやりすぎかもしれない・・そんなことはどうでもよくて。つまりぼくは誤解されているようなのだ。「えッ?じゃー、バイク好きじゃないの」と言われたら「好き」って答える。そもそも「バイクってそんなに好きじゃない」って今頃ぼくが言っても誰も信じないしね。でも、本当のところバイクそのものよりも、その向こう側にあるものが大好きなのさ、こりが。常に求めてるんだよなぁ。なんかカッコつけた言い方でちょっと恥かしいけど・・。ココだけは譲れないから続けてガンガン言わせてもらうけど・・自分のサイトだし。その向こう側にあるものというのは、ひとことで言えばやはり「一期一会」。人もそうだけど自然も環境も時間も空間も込みの「一期一会」。

箱根の峠の駐車場でなぜかおにぎりをくれたおばちゃん。夏の房総の国道で大渋滞にはまってる時ガムを手渡してくれた黒いセダンのカップル。島根県でいちど遇って1週間後宮崎県の海岸で偶然また遇ったTWのおにーさん。帯広の交差点で信号待ちをしているぼくに突然「これ持っていきな」とビニール袋いっぱいのトマトを渡してくれたおばあさん。桜島近くの商店街で温泉旅館の主人にナンパされて浴場掃除と引き換えに寝食ただになったり。昼下がりの姫路のサービスエリアで佐野元春似の男性に「そこのトイレの中で・・」と直接的に求められたり。バイクで旅してるとこういうの挙げてったらキリがないしみんなもカナリあるでしょ、バイクに乗っていれば。まさにオン・ザ・ロード、だよ。路上で遭遇するライダー達に挨拶をする、されるっていうのもなんかカッチョよくてたまらない瞬間でもあるし。実際一瞬の出来事だったり言葉を交わしたりしたのはほんの少しだったりするけど不思議なことにそういう時の状況は今でもハッキリと覚えている。

で「だからなんなの」って言われると「こういうのが楽しい〜んですよ」って答えるしかないです。みんな結局、楽しむ為に生まれてきたんだから・・その楽しみの為の苦しみはあるけど間違ってもつらい目に遭う為にじゃない。三島由紀夫が自決する直前に「檄文」というビラみたいなものを撒いていて、大学の時はじめてぼくはそれを読んだんです。そしてその「檄文」の最後の方にあった「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」という一文に目を奪われてさ・・断っておくけどぼくは三島由紀夫に傾倒してるわけでもどっちの翼でもないです。もちろん生命尊重安全第一おまけに戦争反対です・・こんなどこかの馬の骨だって死ぬのは怖いんです。だからこそなおさらこの一文から目を放せなかった。つまり忘れてたんだよ、魂を。というよりも気づかないフリをしていたのか・・いや、もしかしたらこういう言葉を待ち望んでいたのかもしれない。

ぼく達が育ってきた環境というか社会・・つまりこの日本列島社会は魂に知らず知らずのうちにだんだんと型や枠をはめていきます。カンタンに言っちゃえば魂って管理しにくいし、出来れば無いほうがいろいろ都合がいい、社会にとって。そしてもっと恐ろしいことにその個人にとっても。「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「触らぬ神にたたりなし」的事なかれ均一主義って言うのか。でもさ、そういう世界ってつまらない、というか悲しい・・、ただそこにあるだけ。もちろん生活の為にみんなそうしてるのも解かっている、事実お金ないと生きていけないけど魂なくても生きていけるし。だからこそ今、日本は経済的に豊かであって、ここまで奇跡的な発展をしたんだ、というあなたの考えも十分理解できる。そしてぼくもここまで社会を育ててくれた先人達をリスペクトしているし感謝もしている。現代社会は個人の幸せという大義名分のもと生命尊重に向け努力を怠らず常に闘ってきたことは確かだし、これからもまっしぐらにそうだろう。またそうあって欲しいと素直に願っている。でももうこれからはくだらない副産物である事なかれ均一主義に自分の魂を囲ませる必要はない。時とともに人は社会は人類は向上しようとしている。生命を尊重するなら魂も尊重しなければ意味がない時代にますますなっていくんだ。みんな本当はなにを目指しているのかわかっているはず。

なんか・・だんだん大袈裟になってきたなぁ。それにくだらない能書きだからもうこのへんでやめるけどバイクに乗るという行為はいつもこの「生命尊重安全第一」の一般社会から、確実に、そしてもっとも遠いところにある。それを撰んだことによるある種の弊害というか犠牲を差し引いても効率良くダイレクトに「一期一会」させてくれる奇跡のマシーン。つまり工業製品であるモノとしてのバイクよりもその精神性の存在のほうがぼくにとってはるかに大きいんです。そうなってしまえば排気量や馬力、あるいは速いとか遅いとかナンダカンダなんていうものは、ほんとうに表面的な意味のないものになるハズ・・なんだけど・・かな〜りこだわってるね。なんでだろ?やっぱり「バイクズキ」か・・ 結局、楽しもうってことさ♪
  
「オートバイに乗ることを選択できる自分は本当に恵まれている」と今、しみじみと思うよ。

オートバイとの出会い


友人にHという悪友がいるが、中学の時はよくけんかをした。それは、オートバイとクルマではどっちが凄いか、というまったくくだらない口げんかだ。

今となっては信じられないが、当時ぼくは車オタクで、雑誌でいえば、カーアンドドライバー、オプション、スクランブルカーマガジンから4×4マガジンまで何でも節操なく読んでいた。

こっちの言い分は、車は雨にぬれない、移動しながら音楽が聴ける、食事が出来る、いろいろ出来るなど・・・実用的な主張。対してHは、オートバイは楽しい、気持ちがいいなど感性で攻めてきた。

いつも学校の帰りに決まったバトルをして、結局けんかになって帰宅していた。しかし、この勝負、実用性などどうでもいいぼくにとっては、はじめから意味のないものだった。

ある日、Hの部屋に置いてあった雑誌をなんとなく開くと、まるまる1ページを使った2台のオートバイの並んだ写真があった。それはまさしく目に飛び込んでくる、といった感じで2台とも美しく存在感があり、単純にかっこよかった。中学生であることを忘れて、これなら乗ってもいいと思った。

すかさずHに2台の車名を訊くと、クルマ馬鹿がどうかしたのか・・といった顔で彼は答えた.。

「カワサキのゼッツーとハーレーのローライダーだよ」リーチ一発だった。

少年は出会った

それから間もないある日、ぼくは中央自動車道で父親の運転する自動車の中にいた。河口湖の裏側にある母親の実家に行く途中だった。この非日常的でダイナミックな高速道路が小さい頃からとても好きだった。

そして、その時も不意に非日常が後方から爆音と供にやってきた。黒い集団だった。先頭のオートバイが横に並ぶ。あの写真のオートバイと似ていた。助手席のサイドガラスを急いで下げると、とたんに走行風とモノスゴイ排気音に包まれた。

オートバイは深い漆黒色の大きな車体だった。黒い革の上下を着込んだライダーは黒いジェット型のヘルメットにゴグルをつけていた。今でもはっきりと覚えている、彼は髭面の顔をぼくに向けると、親指を突き出した左手を少し上げニヤリとした。

すぐに次のオートバイがやってきた。先ほどよりちょっと小さめの車体だが、排気音はさらに凄かった。ライダーはぼくに向かってなんか言っていたが、先頭のオートバイを指差すとなぜか大笑いしながら行ってしまった。3台、4台、5台と似た感じのオートバイのライダーが、ぼくに対して握手の真似をしたり、ピースサインを出したりしながら、すぐ横を通過していく。そして確かに見たのだが、後方の2台は二人乗りだった。

タンデムシートは二人とも女性で、やはり黒い革の上下だったが、ゴグルだけでヘルメットはしていなかった。唖然と馬鹿面で見ているぼくに気づくと、二人は笑いながら手を振ってきた。素晴らしく晴れた気持ちのいい日だった。その日差しを受け、彼女達のポニーテールにした髪が眩しく光った。 

黒い集団は全部で12,3台ぐらいだった。それぞれの背中にはBLACKナントカってあった。ウサギのイラストがあったから、BLACK RABBITSかな。集団がカーブで見えなくなっても排気音だけは聞こえていた。嵐のようだった。誰かが「暴走族」と言った。

しかしそれらとは違っていた。彼らの表情と動きはポジティブで、明らかに余裕があった。心の底から楽しんでいる感じが少年といえるぼくにも解った。つまり、カッチョよかった。その時オートバイの名は分からなかったが、今から思えば、ハーレーやトライアンフだったと思う。もしかしたらWやXSがいたかもしれない。

そして彼らが去って行ってしまったあと、ぼくは言いようのない高揚感にも包まれた。あのオートバイに乗る者達のぼくを見る目のずーっと向こう側に、なにか新しい空間が拡がっているのを感じたからだ。ある種、洗礼のようなものだったのだろう。ぼくは運がよかったのだ。とにかく彼らはその少年のハートにナニカを残していった。

心当たりのある方、御連絡下さい。
あのときの少年は今、乗るに相応しいオートバイを手に入れ、一緒にその空間を旅したいと願っています。

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