XS650SP、2000キロの旅

  
Shell

オートバイでロックフェスへ行き、そのまま夏の日本を旅する
20010726 この旅、ヤマハ(80年式XS650SP)で行くか、ハーレー(98年式FXDスーパーグライド)で行くか出発前夜まで迷ったが、ヤマハで行くことにした。ヤマハの方が、かわいいので旅をさせるのだ(嘘)。山口県立美術館でモネ展が開催されているのでそこまで行こうと思う。7月26日のお昼前、雲行き怪しい中を出発する。フジロックフェスの行われる苗場には夕方ぐらいに着けばいい。PM12:24、湾岸市川から高速へ。料金所で荷物のズレをチェックをする、ついでに距離メーターを見たら24000Kmピッタシ。
ここからは高速道路なのでガンガンいく。外環に入ってさらにガンガンいく。関越に入って、さらにさらにガンガン行く。20年以上前のオートバイだからといって容赦しない。老体に鞭を打ってガンガンいく。パンクなのだ。SMなのだ。といってもたいしたことないスピード(個人的見解)だけどまぁ、人にいえるスピードではない。バシッ!/(+_+)
しかし、パンクなビートでガンガンいって、エンジンがカンカンと遺っちゃったら困るので、パンクな状態はやめてロックにする。と、頭の中で二ールヤングのギターが聞こえてきた。そうなのだ、僕はこの人の音楽を体感する為に、オートバイに乗って、苗場を目指しているのだ。二ールのギターで、またスピードが上がってしまったが、ボーカル部分でイッキに力が抜け、法定速度へ。
 
よく流れていたCM
高坂SA辺りで、ポツポツと雨が降ってきた。嵐山PAに寄って、ビデオカメラの雨対策。ガンガンに来たせいで、手がジーンと気持ちよくしびれている。これ以上雨がひどくならないように祈りながら出発、本線に入る。普段の行いの成果が現れ、とたんに雨がひどくなる。先ほどまでの調子のよさはスッカリ消え、雨のオートバイはつらく悲しいだけ(注+危険)だなぁと他人事のように思いながら、たまらず寄居PAに寄り、寄りによって雨、とサムクなってカッパをきる。
帯広ナンバーのオフ車の人が先にいたので挨拶をしたら、なんと彼もフジロック会場へ行く途中なのだ。お薦めの出演者を聞いたりして、フジロックの話をする(電撃ネットワークの出演が急遽決まったらしい・・)。彼によると会場までまだ100Km以上あるらしく、雨中の走行を考えると気が重くなった。しょうがない,,フジロックに雨は付き物だ。
が、雨はここまでだった、しか〜も、晴れてきた。素晴らしい太陽、素晴らしいオートバイ!素晴らしいツーリング!!あっという間に、これまた素晴らしい地名の月夜野ICに到着。国道17号線に入って、北上する。オートバイで走っている僕の前後やコンビニ前に、フジロッカーと思われる車が多くなってきた。なんかだんだん盛り上がってきた。
三国峠へ向かう緑の中のつづらおりをYAMAHA650の振動と排気音を感じながら会場を目指す。気持ちのいい道だなぁと思いながら遅い車の後ろを走っていると、ヘッドライトを点けたオートバイがミラーに映った。フジロックに行くのかなー、まぁ同じような仲間だ、ちょっと挨拶して軽く話でもしようと思ってよく見たら、ゲッ!本当に仲間だった。
 campsite ヤマハのSR500SPに乗るサイトー君登場。しかし、普通の人だったら区別が付かないような、似たオートバイに、ちょっとやりすぎの同じ宇宙的なブルーのミラーシールド。お互い鏡を見てるようで気持ちが悪い。二人ともニヤケながら走る。そして、気持ちが悪いまま、無事フジロックフェスの会場へ。
オートバイを駐輪場へ置き、キャンプサイトへ向かう。今日は前夜祭だけど、この時点でもうキャンプサイトの半分近くは埋まっていた。サイトの一番奥の一番上にテントを張る。
(お馬鹿さんとKEMURIは高いところが大好き!)
20010727 フジロック初日、この日は午後から始動の為、うだうだする。遅めの朝食が終わった頃、んー?大将か!といった大将ルックでカワさん登場。彼と僕は親子でもおかしくない年齢差があるが、僕はある種の敬意を表して友達として接している。彼のよく言う言葉が「人間、感性が無くなったら終り」で、そのとうりに生きている人である。とりあえず、ウチラのメンバーはSHERBETSとEGO-WRAPPIN’が好きなのでそれに向かうことにする。  ↑爆音侍
 
ヨシエもみんなもノリノリ
っておーい!何でかぶってんねん、大将っ・・。仕方がないのでグリーンステージのSHERBETSの一曲目だけで、エゴラッピンへ向かう。ベンジーがナマでギターを弾いているのを尻目にホワイトステージへ。後ろ髪を引かれるとはまさにコレ。でもコレがフジロックの凄さでもあり、じつは醍醐味でもあるのだろう。
そしてエゴラッピンのライブ。よかったぁ〜。バンドの評価が確立されたその自信というか勢いというか、楽しんでいるパワーみたいなものがヨシエからムンムン漂ってきた。その時のメモには、サイコー、ヨシエサイコー、あっという間に終わる。短い、短すぎる。とだけ書いてある。ここだけ読むとものすごくヘンだぞ。
Asian Dub Foundationも、すげえよかった。このメロディとリズムは癖になる。そして、踊れる踊れる。でもグリーンステージは音がいいね。とてつもなく音がいい。野外で大音量、大音圧って言うのもまた癖になります。
Manic Street Preachers(コレは特になし)を見て、OASIS。オーディエンスがスゴイ!そして大合唱。演奏自体はCDを聞いているようだった。つうかライブ版そのままだった。それもスゴイ!会場の圧倒的な雰囲気に飲まれ、なんとかテントにたどり着き、カレーを食べてバタンQちゃん。
 
30% blue
20010728フジロック2日目、グリーンステージのPatti Smithは大満足だった。僕が知っているのは70年代のサウンドだけだが、以前よりも攻撃的かつ愛情にあふれていた。つまり、彼女のスタイルがさらに研ぎ澄まされていて、単純によかった。ライブ版が欲しくなった。実際、この時のステージが、あらゆるところで評価されているのもうなづける。
この後、サイトー君をオフィシャルグッズ購入担当に任命し、フィールドオブへブンへ向かい、ROVO。なかなかよかった。3人でグッズを大量購入してグリーンステージのAlanis Morissetteへ。オーディエンスの年齢層が低い!自分の中でAlanisはもっと尖がったイメージがあったが、なんか可愛かった。
 
Come on NEIL!
Alanisが終わると同時に前方へ移動する。次はNEIL YOUNGだ。なんとかステージ前のエリアに滑り込む。年齢層が幅広い!そして、フォリナーが多い!。期待感とヘンな緊張感の入り混じった、なんともいえない感覚に我慢できずに、早くしてぇ〜お願い!となるが、時は必ず過ぎる。オモムロにNEILが現われる。
ついにこの時がやってきたのだ。それから僕は泣き、叫び、歌い、躍り、呆然となりそれらを繰り返しながら漂った。終了まで2時間半、NEIL YOUNGのギターや歌声が三国の奥深い山々に、あるいはその夜空に確実に解き放たれたのだ。コレって、どういうことなんだろう。すっとんきょんな疑問だけれど・・.とにかく本当に素晴らしいものを僕は体感した。
このステージ、ライブインジャパンとしてでないかなぁ。お願いします出してください。いや、絶対だせ!。バシ!/(+_+).西新宿へ行けばあると思うけど・・。しばらくステージ前でボーッとしてなんとかテントに帰り着く。ふと時計を見るとAM2時を過ぎていた。僕はこの後の記憶があいまいの為ここまで。が、カワさんはあの後、車で千葉まで帰って、朝から仕事。なんなんだあのパワーは。
20010729フジロック3日目だが出発なのだ。快晴。指笛やりすぎてタラコ唇の僕は山陰へ向かう為、日本海方面へ、ヤマハ・サイトー・SR500はもしかしたらNEIL YOUNGとオノヨーコがいるかもしれないので軽井沢へ(いるかッ!)、それぞれ向かう。会場前の国道をちょっと上がったところでお別れ。ここはグリーンステージが見えるのだ(遠いけど)。音もバッチリ聞ける。この日の一発目、なんとBRAHMAN!をしばし聞く。いいね〜やっぱ。

Hey You
そのBRAHMANをBGMに7月後半のあの日差しを受けつつ入道雲に向かって走り出す。ク〜贅沢!国道117号線から野沢温泉を抜けて、ヒョイと右にそれて飯山、国道292号線へ。ここまでのルートはとても気持ちがよかった。そして信越本線ちかくを国道18号線で直江津へ、換わって北陸本線を跨いで日本海沿いに出る。海沿いの国道8号線を西へ。  
至軽井沢
日本海沿いに隣接する「うみてらす名立」という巨大なお風呂でキレイキレイする。さっぱりしたところでなぜか元気が出てくる。ここをPM4:50ごろ出発、この時点でメーター24393Km。国道8号線の親不知付近では走行しながらビデオ撮影をする。
 
この感じ!

ブル〜ス
ちょっと大型車が多いが、日本海沿いの九十九折の断崖絶壁をトンネルやシェルターで通過する、この道路が僕は大好きなのだ。オートバイに乗り始めた10年ほど前の夏の終りに走ったことがあって強烈な印象が残っていた。その時もヤマハだったな〜、400単気筒の(本当はカワサキ馬鹿)。
黒部から北陸自動車道にのって富山でドロップアウト。なぜか富山市街のブックオフに寄って思い出したように高村光太郎の本を探す、が無かった。国道359号線で調子よく金沢を目指す。も、時間的な問題(PM8:00頃)と体力の消耗で砺波からまた北陸自動車道にのって、小矢部川SAに寄るが落ち着ける場所無く、金沢の不動寺PAへ向かう。途中、ナイトクルージングビデオ撮影。高速走行+手持ち撮影、デンジャラス!オートバイに乗りながらでもビデオ撮影出来るんだなぁと、タラコ唇でよい子ではない自分に感心した。

OYASIRAZU
PAに到着後、ひょっこりと家に電話をしてみる。が、フジロックのせいで、いやNEIL YOUNGのせいで、本当は自分のせいなのだが、声がかれて別人状態となり、家族は僕だと思ってくれなかった。なぜかちょっとだけアセッタ。PM11時頃、コールマンでお湯を沸かし、カップヌードルとポテトサラダを食べて、コーヒーを飲む。コカコーラのベンチの上でシュラフにくるまり、時おり通過するトラックの走行音の中、眠りに入る。本日の燃費、約30Km/L、すごいぞXS650!(ジョンカビラふうに)
存在の耐えられる重さ

打ち上げ太陽
20010730第一章 AM6:43すでに暑い。このPAにも車両が増えてきたので出発。今日は兼六園に行くつもりだったが、北陸自動車道を金沢で降りるのをやめて敦賀まで行くことにする。行ければ今日中に鳥取県に入ってしまうのだ。今日も快晴日本の夏真っ盛り、XS650も調子いい、気持ちがいい〜状態でダラララッと流す。加賀を通過。
途中、タワーレコードの黄色い袋を多量に積んだ白いセダンに抜かれる。にーちゃんねーちゃん4人組のいかにもフジロック帰りと思われるカッコをしている。こっちだってニールヤングのTシャツを着て、後ろにフジロックの袋をいっぱい積んでいるのだ。仲間意識を燃やして抜き返す(何だソリャ)。鯖江を通過。お互いぬきつぬかれつ、コーヒータイムの為、南条SAに立ち寄る。

日本の夏 サービスエリア
素晴らしく暑い。北陸自動車道を敦賀でドロップアウト、敦賀半島へ行こうか迷う。が、この素晴らしい夏のツーリング中にホーシャノーな感じはイヤ!なので国道27号線を舞鶴へ向かう(ってこの先の高浜にもある)。あまりにも暑いので、日本海沿いは若狭湾を最後に舞鶴から国道175号線で内陸へ入り、出来るだけ標高の高いところを目指す。
でもいつの間にか京都にいるんだなー、どうも京都と海というのは繋がりにくい。コレ僕だけですか。ホントにものすごく暑いので、上半身ハダカで走行。コレ僕だけですか。キケン、でもハダカ。

公序不良俗
福知山から国道9号線いっぽんで、効率よく鳥取に抜けられることが判明。ひたすら鳥取目指して走る。ニールヤングのステージが蘇ってきて、感無量になる。道の駅ハチ北で休憩。よもぎうどんを食べる。野菜売り場で1個50円のトマトを物色。おじさんにどれが一番おいしいか質問して、ッんなんわかんねーよと言われる。自分で選んだトマトを食べる,美味い!PM1時54分、ここまで距離メーター24884Km、燃費また30Km/L!いい子だ。国道9号線は快適に流れとても気持ちのいいルート。
町中に入って子供を見つけるとカタッパシから手を振ってみる。と、みんな手を振り返しながらなんか騒いでる。オモロイ、ツーリングはオモロイ。ほどなく鳥取大砂丘の看板。大が付くところに鳥取県の誇りと意気込みが感じられる。
mirror man

himatubusi
PM4時43分、24994Km、最初に鳥取県立博物館へ。ここの名称は博物館だが美術館でもある。主に鳥取県の近代美術を見る。淡谷のりこが経済的に苦しい時にやっていたモデル時代の絵画があったが、作者の名は忘れてしまった。閲覧者は僕だけで館内の女性が解説をしてくれたのでしばらく話しをする。
あと博物館のホールに鳥取の海岸に流れ着いた生物などが展示されているが、(゚ロ゚;)ゲッ!ナニコレ、ッつうのがある。海はまだまだ知らないことが多くて、恐ろしいなぁと思ってしまった。
1度見てくらはい。ほんと!$0##!ってなるから。
20010730第二章 鳥取県立博物館を出ると、すぐに[ふれあい会館」を目指す。日本海と砂丘海岸を一望できる温泉、とツーリングマップルに書いてある。公民館みたいな正面玄関にヤマハをつける、と女性連れのサーファーに声をかけられた。僕より少し先輩か。
サーファー「それ、ツインじゃん、あれ!XS(ペケエス)?」僕「・まー・はい」サーファー「オレはW-1乗ってる」僕「!ツインはいいっすよねー、やめられないっすよ」サーファー「イイねー、特にバーティカルツインの」僕「ウンウン」。そして僕がハーレーより良いかも知んないと言うと、彼はこう言い放った。「あたりまえやん!」すげぇかっこよかった。
脱衣所で再びあったときはサーフィンの話をした。姫路に住んでいて、今日は久しぶりにここに来たそうだ。オレはなんでも乗るものが好きなんだ、とニヤケながら言う。体を洗い終わり(湯船に入りながら本当に日本海が一望できる、気持ち、いいッ!)服を着てロビーで、とりあえず瓶の牛乳を飲む。
あのにーさんが来て、雨が降っていると言う。さっきまでカンカンに晴れていたので驚いて外を見ると、ホントにザーと降っている。聞けば、ここ1ヶ月ぐらい雨が降らなかったそうだ。今年は本州にあまり雨が降らないのだ。
サーファーの連れの女性がやってきて、すこし雨の話をして、軽く最後のお別れをする。お互いオートバイ乗りなのだ。彼らが行ってしまうとすることもなく、ロビーに置いてある血圧測定器や全自動マッサージ器を試したりした。血圧が低かったので、もう一度測ったらさらに低い数値が出たのでマッサージ器の上でおとなしくする。
黒く日に焼けた60なかばのじっちゃんが来たので譲る。オートバイで千葉から来たと言うととても驚いて、次は何処へ行くんだと聞いてきた。島根の方へ行きますと言ったら、遠い目をして、あそこのしじみのみそ汁はうまい、必ず食べていけ、とやたら勧めてきた。彼は元漁師で日本海での漁や漁船について1時間ぐらいはなしをした。
これから食材を買うので一番近いお店は?とじっちゃんに訊くと、俺のあとについて来いと言うので、彼のピンクナンバーのスクーターにくっついて雨上がりの道を走った。
マーケットに着くと「1000円分はオレがメンドウをみてやる」というので丁寧に断ると「いいんだ!あんたを息子のように思っとんたんじゃ」と言われ思わず涙が出そうになり「それではあり難く頂きます」と言って牛乳と即席ラーメンとタイの刺身そしてじっちゃん御薦めの日本海のアジの開きを買った。買いすぎだろバシッ!/(*_*)。じっちゃんは小さな日本酒のパックを買っていた。
マーケットの駐輪場でじっちゃんは何回も「気いつけて行けや」と言った。最後に固く握手をして別れた。漁師として生きてきた、とても力強い手の感触だった。テイケツアティストに足りないものだと思った。
20010730第三章 砂丘のそばにある柳茶屋キャンプ場(無料)へ着くと、緑のでかいカワサキとさらにでかい白いHARLEYが停まっていた。松林の中にすかさずテントを張り、白いハーレーを見ていると持ち主のにーちゃんに声をかけられた。一気に話の花が狂い咲き、その場で1時間以上も話しこんだ。
AJINOHIRAKI SHOW
山口県立美術館のモネ展へ行くと言うと、そういう人なんですか(そういう人ではない)と言っていたが、彼はなかなか興味深い人物だった。確か二十歳だったと思うが、彼の言葉の質と量は素晴らしく、あらゆるものに対し好奇心旺盛だった。実家は群馬で、仕事をイキナリ辞めてHARLEY-DAVIDSONを買い、定住先を探す旅をしているのだ。鳥取に来る前は紀伊半島にいて、次は四国を目指し沖縄まで行くらしい。
650cc 最低限のお金で効率よく旅の生活をする知識を各地の図書館で吸収しながらオートバイの旅を続け、また、これらは実際の生活でも役立つので一石二鳥だとも言っていた。彼によるとツーリング中に摂ると良い食事は、ビタミンの関係からいって、豚のしょうが焼きが良いそうだ。そんなこんなアンナはどうなったで結局、夜中まで話し込んでしまった。
20010731 朝、カワサキの出発する音で起きる。カワサキのにーちゃんは昨日、テントの中でケイタイでずっと話しまくってたので接触できなかった。じっちゃんに買ってもらった日本海のアジの開きをコールマンで焼く。贅沢な朝食そして旨い!そしてやはり今日も快晴、すでに暑い。

650cc×2
福知山方面の温泉へ向かうハーレーの彼を見送る。夏の朝の日差しに白い車体が眩しい。ウ〜ン、カッチョイイナ〜。また何処かで遇おうぜ!いつの時もオートバイで出発するものはかっこいい(自分も含める)。
柳茶屋キャンプ場をAM9時30分頃、カッコよく出発する、が誰も見ていない。この時の距離メーター24969Km。日本海沿いを国道9号線で西へ向かう。ハワイ町通過。ものすごく暑いのでまたも上半身ハダカ。

島根県立グレート美術館
米子市へ入る。そのまま9号線で西へ向かうつもりが間違えて、国道431号線で境港市へ。とてもノドが渇くので、自動販売機で水分補給しまくる。境港市から江島、大根島を通って島根県松江市へ。
ほどなく市街に入り、島根県立美術館へ。かなり立派!ちょっとすごすぎるんじゃな〜いの〜(平井堅ふうに)。2階外のテラスで宍道湖が見渡せるのが素晴らしい。ここまで距離メーター25123Km、PM4時過ぎ松江城へ向かう。
  ALMOSTBLUE 松江城入り口にラブマシーンを置き、セミしぐれのなか歩いて城内を抜け、小泉八雲記念館へ。この辺りはなぜかとても落ち着く雰囲気だった。付近を散策したあとキャンプ場探しの為、名残惜しく出発。夕暮れの宍道湖を左手に見ながら、国道431号線を西へ。一畑電鉄のいいカンジの黄色い車両と並んで走る。平田市の県道250号線で日本海の十六島湾へ。夕闇の中、その寂れた漁村への最後のカーブを抜けると僕は息を呑んだ。いや、思わず声が出た。
Utukusiikaigan
美しい、ほんとうに美しい海岸だっだ。しばらくボーッとしてカミサマに感謝する。猪目海岸キャンプ場に到着したのは分かっていた。真夏のこの季節なのに誰もいない、管理人もいない、シャワー室があって、砂浜のこんなに美しい海岸なのに。まさにプライベートビーチ状態じゃん。

冷静になってくると、これは何かあるんじゃないか、騙されているんじゃないかと思えてきた。が、そんなもんない。テントを張り、ミックス野菜と焼肉用レバーを焼いて食べる。この美しい砂浜のズーっと沖にゆらゆらと明かりが見える。あれはイカ釣り漁船の明かりだ。昨日、鳥取のじっちゃんが教えてくれた。じっちゃん何してるかな。
砂浜とそこに打ち寄せる波が、月明かりで程よく見える。今夜も月が出ている。僕の素晴らしい体験や心に残る思い出は、月明かりに照らされた夜が多い。波の音を感じながら眠る。
  日本の夏 田舎の赤いバス 20010801 犬の吠える声で起きる。テントから出るとやはり素晴らしく美しい所だった。今日は出雲大社へ行くのだ。そして地図を見て驚いた。昨日は気づかなかったがここは出雲大社にほどなく近い裏手?の海岸だった。
荷造りをしてふと気づくとブーツが片方ない。ハー?ってカンジで周りを見渡すと、向こうの方で犬がおもちゃにしている。オレのレッドウイング返せー!と犬に向かって走る。それに気づき犬、ダッシュで逃げる。無事、犬から奪取して、出発。
気持ちのいい九十九折の道で峠をひとつ越えるとすぐに出雲大社に出た。何処からともなく、しかしはっきりと笙の音が聞こえてくる。この夏の朝に出雲大社で聴くと格別のものがあるなぁ。告知板を見ると月始祭というのをやっているらしい。運がいい!が、何をやっているのかよく分からない。
しばらくうろつき、ラブマシーンのところに戻ると地元のおじさんが日御崎に行ったか?と訊くので行っていないと答えると、東洋一の灯台があるから是非行けという。何処に行ってもいい僕は日御崎灯台へ行くことにする。出雲大社から5Kmぐらいか。快晴の空、青い海、オレンジのセンターラインで灯台までの曲がりくねった道はとても気持ちがよかった。白亜の灯台は確かに’東洋一’美しいかもしれない。
日御崎灯台へ行ったあと、あまりにも暑く走れないので大社町の吉兆館という所でグターとする。ここには出雲地方の歴史神事が展示してある。竹内まりやと山田太一の色紙があった。が、山下達郎はなかった。広大な駐車場で木陰を探し、地面にアリがいるのでラブマシーンの上で昼寝。

東洋一
じっちゃんの言葉を思い出し、シジミの味噌汁を味わいに国道9号線で宍道湖方面へ。日本三大美人湯のひとつ湯の川の道の駅で休憩する。食堂にちょうどシジミの味噌汁があった為、注文する。びっくり、マジで美味い。ついでに遅めの昼食として、ハーレーのにーちゃんが言っていたしょうが焼き定食を注文。お店の人に味噌汁を追金でシジミの味噌汁に変更できないか訊くと、なんと始っからシジミの味噌汁だった。
このまま続け
ここでは味噌汁といえばシジミなのか。最後に定食を頼むと半額になる炭焼き珈琲を飲む、がコレも美味い。ここはちょっと他の道の駅とは違います、専門的なレベルです。しかもシジミの味噌汁付しょうが焼き定食と炭焼き珈琲で1000円弱、安いです。結局、シジミの味噌汁2杯です。本当においしかったなぁ、じっちゃん。
しかし、この時気づいたのだが山口県立美術館へモネ展を見に行ったら往復でプラス2日、休みの日数からいってだめじゃん。しかも今、帰路に着かなければ。まぁ、モネだから渋谷とか上野でいつかやるんじゃな〜いの〜。ということで、モネ展をあきらめて帰ることにする。ここまで距離メーター25229Km、PM4時45分出発。
 
トンネルに入るところ
国道9号線で今度は東へ向かう。そのまま米子まで行き、また日本海沿いではノウがないので、内陸の大山方面に向かう。コレが間違いのもとだった。奥深い山々の間を縫って走る国道をひたすら走り続け、夜の10時ぐらいにふと気づくと鳥取砂丘に向かっていた。あれ、道間違えてるじゃんていうかあまり進んでないじゃん。

古いGSとボロイXS
 
20010802 行きに使った国道9号線で福知山まで抜ける。福知山から次は丹波を目指して走る。が、丹波になかなかたどり着けない、もう夜中をとっくに過ぎている。方向感覚には自信があるのだがこの時はぜんぜんダメだった。丹波丹波丹波と頭の中に丹波哲郎の顔が浮かび、あとは野となれ山となれ状態に入った頃、丹波へ。
しかしこんな夜中に丹波にいてもしょうがないので次は京都市街を目指す。国道9号線でひたすら目指す。夜中の2時過ぎ京都市街に入る。眠い!危ない!しかもこんな時間に混んでいる。
京都っていつもそう?車の間に入って走ると途端に眠くなる。2,3回軽く居眠りオートバイ運転をした頃、バシッ!/(+_+).懐かしの四条とか五条とかの道路標識が現れ元気になる。
  TELL THE TALE OF TAIL LAMP
国道1号線に入り東山の清水寺のそばを通って逃げ込むように京都東ICから名神高速に乗る。大文字焼きの時にいつもお世話になる大津SAにAM3時過ぎ到着。そういえば大文字焼きも日本の夏を満喫できる行事だなぁ。ちょっと寝て、朝になり混んできたので出発することにする。ここまでの距離メーター25667Km、AM7時47分出発。

 
ソラノアオノアオサニ by チャラ
滋賀から岐阜に入ってすぐの養老SAで太平洋側の天気が悪いという情報を仕入れ、小牧ジャンクションで名神高速から中央道へ。屏風山PAに進入する。と、警備員に単車はあっちに昨日できたばかりのひさし付きの場所がある、アンタが一番乗りだと言われる。建物の中に入ると、ハッピを着たおねーちゃんにオープン記念です、といきなり言われて200gのお茶とヤクルトをもらった。素晴らしいPAだ、いや運がいいッ!ラブマシーンのところに戻りしばらく警備さんと話をする。ここまで距離メーター、25839Km、AM10時24分出発。

一点突破全面展開2006日本代表  
その次の恵那峡SAにも寄る。瓶入りのノンホモ牛乳(コレ美味いんです)180円を2本買ってイッキに飲む。広島ナンバーのジャパニーズアメリカン(なんのこっちゃ)が3台停まっていたがライダー見当たらず。ガソリンを入れ、AM10時51分出発。長野に入ってとても眠くなり伊那の小黒川PAに寄り、木陰を探して芝生の上でちょっと寝る。夏のスコーンと晴れた空の向こうに入道雲が見える。25943Km、PM1時50分出発。  
止ま

 
木漏れ陽の下で眠る

山梨県立美術館へ寄ろうと思ったが時間の問題であきらめ甲府を通過して、中央道を一宮御坂でドロップアウト。僕の祖母がいる芦川村へ向かう。元気かなぁ。巨大なわらぶき屋根の家の庭にオートバイを乗り入れるとビックラコイタという顔をしてそこに祖母がいた。収穫した野菜をまとめているところだった。出雲大社の厄除けのお守りを祖母に渡す。(積めないっちゅうのに)野菜を大量にもらって、PM4時20分出発。
  霧が発生している精進ブルーラインで上九一色村を通過する。国道139号線で河口湖へ。さらに天候が悪化し霧雨の国道138号線で山中湖、道志村を抜ける国道413号線へ入る。途中、県道76号線で霧雨が強くなる。路面がスリッピーで危険。やはり車の後ろを走っていると眠くなる。単独になってから県道76号線のタイトな道をラブマスィーンXSと共に夢の中のように駆け抜ける(より危険)。再び中央道の相模湖入り口へ。
ほどなく石川PAに到着、なぜか安心する。26194Km。かき揚げそばと河口湖のセブンイレブンで買っておいたおにぎりを食べる。自動販売機のカップの珈琲を飲んでPM9時前出発。首都高速のちょっとした渋滞をクリアして京葉道路へ。PM10時過ぎ、無事この素晴らしい夏の旅が終わる。XS650SPは丈夫だなぁ。
この旅をビデオクリップにまとめました(サウンドあり)。
WMP画面100%が最適です。
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