拝啓、カワサキW乗り様
もう10年以上も前、ぼくが自動二輪の免許を取ってヤマハに乗り始めた頃、カワサキWシリーズの幾つかのクラブの合同ミーティングへ、無謀にも参加したことがあった。今では、あまり集団で走らなくなったけど、あの一日でいろいろなことを経験した。
当時、親友が初めてのオートバイとしてKAWASAKI 650-RS W3を手に入れ、そのミーティングへ行く彼にひょんなことからついていくことになった。最初の集合場所は、その時親友が世話になっていた「W1クレージーズ」のメンバーの家の近くだった。ぼくらが到着するとすでに10台ほどのWが停まっていて、ライダーらしき人達が談笑していた。ぼくらは敬意を表し頭を軽く下げ、彼らに挨拶をした。こんなにそろったWを見るのは初めてだった。目の位置が定まらずクラクラした。参加メンバーが揃い10数台が出発体勢に入る。とたんに、ものすごい音に包まれる。Wをこんなに見るのが初めてなワケだから、これだけのWの排気音を聞くのも初めてだった。耳の位置は普通だったから、思わず顔がにやけてしまった。高速道路をしばらく走ったあと国道と県道を使い、合同ミーティングの集合場所となった北関東のはずれの町まで移動した。
そこには、すでに20台ほどが到着していて、ぼくらのあとにも排気音と共に続々とWとそのライダーがやってきた。大袈裟ではなく、夢のようだった。あらゆる年式のWを食い入るように見た。ほどなくして出発の時間が来た。このときの身震いするような光景を一生忘れないだろう。リーダーの声を合図に、皆いっせいにWのキックペダルを蹴り込む。あの「ハラニコタエル」排気音があちこちで上がった。幾重もの素晴らしい排気音と高揚感に包まれながら、前後左右のWやそのライダーを半ば観察した。ライダーは黒い革のジャケットにサングラスといった格好で、ぼくらよりいくらか上って感じの人もいたが比較的年齢の高い人が多かった。余計なことは言わないが物事に一家言と確かな選択眼を持ち、頑固で凄みのある感じが共通している。しかしなんといっても普段自分の周りにいる大人達よりも、圧倒的にかっこよかった。二十歳になったかならないかのぼくは、白髪の彼らがサングラスに革の上下を着込み、無邪気にオートバイを愛でる姿、というものを目のあたりにして、ある種の嬉しさと、なぜか安心感を覚えた。今になって想えばそれは、オートバイに乗ることを選んだ自分、に対するひとつの答えを彼らに見たからなのだろう。
この一行で初めて山間のトンネルに入った時は度肝を抜かれた。ある程度想像はしていたはずだけれども、その想像をかるく超えていた。あれだけの数のWの排気音が反響し増幅されると単純にすごいのだ。何度も遭遇しているのに毎回想像を超えた迫力にやられる「カミナリ」と似ている。
昼食をとる為、とある店に寄る。カワサキに乗っていないぼくもメンバーに混じって座る。寡黙に見えたW乗り達は話しかければ気さくに言葉を返してくれ、ユーモアのセンスも抜群だった。食事が終り、皆Wのところへ戻る。メンバーの誰かが経営しているか、それともその知り合いなのか、そのどちらかだったと思うけど、とても「豪勢な食事」だった。食事代は?と、みごとに馬鹿面をさらしているぼくを尻目に、W御一行様はアタリマエのように出発体勢に入る。その時、すでに伝統的ともいえるW乗り達の広く深いつながりに、なぜか触れたような気がした。
最終目的地は素晴らしく険しい山々の連なりがすぐそこに見える、かなり高所にある広大な公園だった。
その公園に着いてすぐに「習志野の2台!」とミーティングのリーダーに呼ばれた。その日、習志野ナンバーは親友、それと自分しかいなかった。リーダーのところへ行くと「死ぬぞ」といきなり言われた。はじめ何のことか分からなくて「はぁ」としか応えられなかった。リーダーが言うには、カーブで2台並んでの倒しこみは危険だ、ということだった。確かにここに来るまでの九十九折りを2台並んで攻めながら来た。この二人で房総や信州の山々へ行くと時々こうなる。しかし今回はミーティングだから、ぼくらふたりだけではない。何かあったら全員に迷惑がかかる。しかも考えるまでもなくオートバイの乗り方として失格だ。若さと馬鹿さ加減を露呈した。ぼくと親友は素直に反省し、「以後気をつけます」と頭を下げた。リーダーはオートバイに乗る者として厳しく、しかし愛情溢れる口調で「気をつけろよ」と言った。その日以来、ぼくらは口には出さなかったが、あのような走り方をしなくなった。
そのミーティングの帰り道、夕方の国道を10数台で東京方面へ向かって走っていた。自動車の数は多かったが順調に流れていた。
とある大きな交差点にさしかかったとき、左から下品な音を撒き散らし、ふたり乗りのホンダの400がやってきた。そのすぐ後ろに、同じような車体が2台見えた。案の定、その3台は交差点まで来ると下品な音をことさらケタタマシクさせて、赤信号で進入してきた。となりの走行車線の車の列がブレーキをかけた。ぼくもブレーキ・レバーに指を掛けた。次の瞬間、先頭のW1スペシャルとそのすぐ左後ろの650-RSが「知性の表れ」として、圧倒的に凄みがある威圧的なものすごい空ぶかしで牽制し、その3台のすぐ後ろを通過した。こっちが驚いたのだから向こうも少しは何がしか思ったはずだ。なにやら睨んでいたが、ネガティブな、ちょっとつらいスタイルを引きずりつつ行ってしまった。
呆気にとられながらも、オートバイに乗る気構えと覚悟のようなものをぼくはこのとき目の前で学んだ。
オートバイに乗り始めたばかりの自分にとってこのときのWミーティングでは、ホントに様々な感覚を吸収し、そしてなにかを学んだ。しかし居心地の悪さというか肩身の狭さも感じた。それはWで参加していなかったというよりも、自分が本当に乗りたいオートバイに乗っていない、という事実からだった。
しばらくしてヤマハの650を手に入れた。Wよりも乗ったときの感覚がなぜか合っていた。自分の道はコレだと決心した。というのは嘘で、そのあとカワサキのデカイヤツで人には言えない走りをしていた。しばらくして、また単気筒に乗り、Harley-Davidsonから結局ヤマハの650に戻ってきた。
いまでは確信をもって言える。本当に乗りたいオートバイは、やはりツインのこれだ。しかし、いつの時もオートバイと言えばカワサキのWを真っ先に思い出す。きっとこれからもそうだろう。なにかを求めるぼくを官能の世界へ誘ってくれた、大事な水先案内人だ。実際、ちょっと普通にはありえない、素晴らしい体験を数え切れないほどした。
Wというオートバイがあって本当に良かった。
そしてあの時、そのカワサキに乗る大人達を見て感じたことは間違っていなかった。 
Motorcycle makes a man. ぼくは今、つくづくそう思う。
オートバイに乗ることを選んで、正解だった。



元気でやってますか。

という文章で始まる、ぼくのオートバイの
師匠から送られてきた、一枚の葉書を前にして。
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